新嘗祭(にいなめさい)
「新穀を天神地祇にすすめ、親しくこれを食する祭儀」 十日夜(とおかんや) 「刈入れが終わって田の神が山へ帰るとして祭る」 今朝は市内の神社にて新嘗祭 本殿の扉が開くのは、年に数日とのこと。 桶に汲んだ水で禊をし、懐紙でふき清めて、本殿へ 遠くのほうで車の喧騒は届いてはいるが 神域の森から聴こえる鳥の声と木々の擦れ合う音 太鼓で開式。祝詞、神職は方形の鍵を持ち 龍笛の乱声で開扉、献饌から撤饌まで。 普段、お寺にいると仏様が可視化されているが 神社では開扉といっても、中のご神体が拝めるわけではなく、 ただ、開扉の時に放たれる神職の言霊というか 開けた瞬間に、神域に神が放たれたような心持ちがして 畏れ多い気持ちになる。 見えないものを見ないで、感じるというか 今まで生きてる経験から感じてきたものから、 神を信じるというより、世のハタラキに畏まる気持ち 扉が閉まるまで、心がざわめく 可視化されないというのは、神の見方や感じ方を こちらにゆだねられてるようで、儀式が厳粛であればあるほど、 外の気配や自分の身体の動きや、出す音に神経が張りつめ、 心を揺るがすよう。
by munehito_miwa
| 2015-11-23 15:52
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