法隆寺金堂の壁画のニュースが印象に残ったのは、うちの父の10歳の時の記憶。
当時の西方寺では、写真左の吉田善彦さんがお住まいされていたらしい。 普段は広隆寺へ蓮の写生にいったりしていたようで、おばあちゃんが弁当を作ったりして持たせてはったみたいです。 定期的に法隆寺の金堂壁画も模写に行ってはったみたいで しばらく斑鳩に行ってまた帰ってきはるような生活。 拭き掃除がすごく上手だったらしい。 金堂が燃えた時は「えらいことになった」って言ってはったそうな 多分、絵描きさんの火の不始末やったんと違うか、って善彦さんが言ってはったとか、言ってはらへんかったとか。 それで、こんな写真がお寺に残っているのだけど 記憶違いなのか(10歳とかだから)、隣の花嫁は、父には河井寛次郎の娘との記憶があるみたいだが、 河井寛次郎の関係の本を読んでもそんなことはないみたいで、実際はどうなのだろうねぇ、 というのが西方寺の謎になってます。 「法隆寺金堂壁画、初の総合調査へ 66年前の火災で焼損」
by munehito_miwa
| 2015-11-13 20:14
| 日常
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