盆参りの際に、「盆と関係がないな」と思いつつ
何故だか、話の流れで蛭子(ヒルコ)の話をした。 イザナギノミコトとイザナミノミコトの結婚で生まれたのは 有名な3神だけでなくて、3年経っても立てなかった 不具の子ヒルコがいて、舟で川に流されました。 やがて、川から海へ流れ、漂流し、打ち上げられたヒルコの死体は浜辺の人に拾われ、海の向こう、遠くの異界から流れ着いたマレビト(稀人・客人)として祀られ 漁業の福神、恵比寿・蛭子(えびす)さんになりました。 という話。 やっぱり盆と関係ないな、と思いつつ。 何故、この話をしてしまったのか?とその夜考える。 彼の地から此の地へなにかが還ってくる際 日本の民族は客人としてもてなしたりお祀りする、ということ。 お祀りすることで、神道でいう「死の穢れ」を「福」に転じよう、「福」を得ようとする発想の装置がある。 佛教では死を穢れとはしませんが、先祖をお参りすることで「福」を得ようということはあるかもしれません。 お盆で先祖が還ってくる際も、同じようにおもてなしをし、お祀りするという風習が残っています。 「福」への転じ方としては・・・ 還って来た先祖さんと一緒に暮らしている、という意識を働かせる事にあるかと。 「故人は偉い」と誰かが言われてましたが 故人は亡くなった時点である程度、人格が定まり、 誰かみたいにぶれないところが偉いのかと思われます。 見習うことにせよ、反面教師にするにせよ ぶれない人(故人・先祖)に相談すること(自身の内面に向き合うこと)は自身の心のケアや、自身のぶれに気付かさせてくれ、軌道修正でき、間違った道に進みにくく、かつ良い選択をもたらしてくれるもの。 そういったことが「福」につながることを昔の人は知っていたのではないかと思います。 自身が内面に向き合う事の「福」に気付かせる装置としての「お盆」があるのかもしれません。 参考文献 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』 カールベッカー編著『愛する者の死とどう向き合うか』 つい一昨日 手塚先生の『どろろ』を初めて読んだのですが 不具の子供が妖怪退治のヒーローになるところが 蛭子(ヒルコ)みたいですごくおもしろかったです。
by munehito_miwa
| 2009-08-23 11:48
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