花音法会

西方寺の八重桜の咲く頃に毎年催している花見です。
今年の冬はとっても寒かったのに、春はちょっと暖かすぎて、新緑の会になりそうです。

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本年は法要より開式
天台宗 赤松圭佑上人
時宗  新堀一海上人
顕本法華宗 土持悠光上人

奉納演奏は
○サンポーヨシ
「恍惚と鎮魂のダンスタイム」京都の盆踊りシーンを牽引する音頭バンド

○伊藤麻衣子
モンゴルの民謡 オルティンドーの歌い手
モンゴル国立オルティンドー協会日本支部代表。
日本各地で歌手活動を行っている。

○ばやん&まさの
インドの楽器、シタールとタブラ!
古典音楽などなど

○KME(京都メディカルアンサンブル)
医者とその仲間たち。
年齢 性別 音楽経験などがバラバラな魂たちが ゆる〜く結合して誕生。いつでも どこでも 誰とでもオリジナルな味付けで俺たちの音楽をお届け。no music, no life !

○土持悠光
妙満寺塔頭大慈院の住職でピアニスト

出店
◇ぐるぐるかふぇ
◇ぴちぴち金魚
◇ドーナップ

境内にテーブルや椅子を設置してますので
出店のお店から購入して頂いても、各自お酒やお茶、おつまみをお持ちいただいても構いません。本堂で流れている音楽を聴きながらお花見を楽しんでいただければ幸いです。
入堂 志納(お賽銭)


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# by munehito_miwa | 2018-03-30 17:22 | 花見(桜音) | Trackback | Comments(0)

お寺時間

知人の浅野様となんだかんだお寺や仏教や僧の事を話していたら

以下の企画をすることになりました。(本日です)

特に準備もなにもしてない企画です。

          ↓


特別な理由もなくお寺でぼっとして立ち止まる時間を
持ったことがありますか。

ゆったりと思い思いの「お寺時間」を過ごしていただけるように、
その日、その時、僧侶がいるだけの「お寺時間」を始めました。

写経や法話やお教室など特別なことはなんにもありませんが、
ゆったりとした時間が出迎えてくれるはずです。

普段使いのお茶とお菓子、 WiFiはご用意しておきます。

「お寺時間」の過ごし方は、あなた次第。

庭を眺めながらぼっとしたり、好きな本を読んだり、
そこに来ている人やお坊さんとお話したり。
本堂で手を合わせるのもあり。

出入り自由。予約もいりません。

第1回目の「お寺時間」は、お彼岸が終わり花盛りの頃に
入逢山西方寺にて開催いたします。三輪宗士住職が
お待ちしています。

【日時】2018年3月25日(日) 14:00-17:00
【会場】入逢山西方寺(京都市右京区常盤出口町1)
    映画村まで徒歩10分、嵐山まで市バスで20分


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# by munehito_miwa | 2018-03-25 11:15 | 自坊行事 | Trackback | Comments(1)

蓮生759回忌

蓮生759回忌
2010年から始めた蓮生忌も今年で8回目
法要では錫杖聲明を赤松圭祐師に称えて頂きました。
天台の聲明と浄土の聲明との掛け合いはいかがでしたでしょうか。

講演は川島実氏、京大からプロボクサー、農業、救急医療、漢方、震災支援、地域医療などの話をして頂きました。30分の約束ですが、とんでもない話のボリュームにそれは30分ではおさまりません。またゆっくりとお話を聴かせて頂きたく思いました。

そして奉納演奏では医者バンドことKME(京都メディカルアンサンブル)が春の花見に続いて、総勢9名でいらしてくださいました。
「基本的には濃く、時に薄い。たまには甘く、稀にほろ苦い」のプロフィール通り?あいかわらずの楽しいステージでした。(アンコールに飛び入りで錫杖が入って失礼しました)
また日程があいましたら来年のお花見で。
https://www.youtube.com/watch?v=L8m8m1iTwLY

本年は日程が初めて休日になったこともあり
想定以上の参拝の方にお越しいただきましてありがとうございました。プログラムを50部用意していたのですが、行き渡らない方もおられたみたいでご迷惑をおかけしました。
医者関係の出演者が多くありましたので、堂内には、助産師のかたから終末医療の方、内科、耳鼻咽喉科、看護師、病院職員などなど出演の方以外にもいろんな方が来られており、後席では京大の同窓会みたいになっていました。宗派も天台、華厳、浄土と色々。

また来年も楽しい区切りとなりますように精進してまいります。
ありがとうございました。




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# by munehito_miwa | 2017-11-15 16:54 | 西方寺蓮生 | Trackback | Comments(0)

蓮生759回遠忌

毎年11月11日に修しています
開基蓮生忌 759回遠忌

今年は天台宗法住寺の赤松圭祐氏をむかえての法要。
今様で有名な後白河法皇のお寺、美声と美しい書をされる住職で蓮生忌には3回目とお世話になっています。

普段はあまり聞くことのない聲明を特殊な形で勤める予定です。


講演には地域医療を提唱されている川島実氏のお話があります。
元プロボクサーで東日本大震災でも気仙沼で活躍されました。
僧の資格もお持ちで、作務衣を着て診療をされたりしています。


奉納演奏には、春のお花見でも本堂をおおいに盛り上げてくれた
医療従事者達、KME(京都メディカルアンサンブル)のメンバーが再びやってきてくれます。

檀信徒さまだけでなく、一般の方のお参りもお待ち申し上げております。



18:00~
法要 赤松圭祐(天台宗 法住寺)
後白河法皇ゆかりのお寺から、この度も聲明をご一緒して頂けることになりました。



18:20~
講演 川島実(医師・僧侶)
元プロボクサーであり、現在はフリーの医師として全国で活躍。
東日本大震災の際は気仙沼の病院の院長として活躍。



19:00~
奉納演奏 KME(京都メディカルアンサンブル)
クラシックからジャズ、ポップスまで、普段は医療に従事されているメンバーが様々な音楽を賑やかに演奏してくれます。

入堂 志納(お布施)


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# by munehito_miwa | 2017-10-17 12:19 | 西方寺蓮生 | Trackback | Comments(0)

お位牌

現在の西方寺に残っているお位牌、お墓を調べています。
(石碑から年代や人物が読み取れる範囲)
○のマークがお位牌あり
*のマークが付いているのは鳴瀧家の系図より(系図は小一条院より記)
※のマークはお墓あり


○小一条院前式部郷宮一品敦明親王 永承3年55歳 1048 (永承6年58歳1051)
*敦貞親王 小一条院子 
*敦賢親王 小一条院子
*寛意 敦貞親王子 仁観音院御寺務・寛治6年1092年39歳大僧都
*基平 参議侍従 号御子宰相 敦賢親王子 → 鳴瀧家へ続く

*鳴瀧元祖 行賢 法眼仁和寺執事別當 妙純院行兼 久安2年 1146年
*2代 覺寛 勝元坊大貳 仁和寺執事別當 保元3年 1158年
*4代 
乘 法眼大蔵卿 仁和寺別當 円宗寺勝光明院上座法勝寺権都維那円堂執行
*9代 行深 仁和寺執事別當 勝功徳院上座
*15代 行
乘 仁和寺執事別當 仁平2年4月7日寂 1152年
*16代 
覺俊 相圓坊宰相 仁安3年戌子 1168 治承4年寂 1180年
*17代 乗俊 勝運坊俊紹 仁和寺別當 文治4年1188年  承元3年寂 1209年
*18代 濟紹 良音坊法印 兵部卿 仁治3年(1242)総在廳補 建治2年寂 1276年
*19代 嚴暹 相勝坊法印 中務卿 正元元年(1259)総在廳補 弘安6年寂 1283年
*20代 
濟嚴 慶順坊法眼 刑部郷 徳治元年(1306)総在廳補 徳治2年寂 1307年

宇都宮頼綱(実信房蓮生)正元元年(1259)念仏堂を建て、西方寺と称す

*21代 相還 順乗坊 法印宮内卿 貞和3年寂 1347年
*22代 教紹 西寺別當職 應安6年11月28日(1373)新院御所勅許
應永19年(1412)鳴瀧村御閑居 勝言坊教紹 応永25年寂 1418年

応仁の乱の影響で仁和寺の伽藍全焼(1467~1477)
寛永11年1634年あたりの再建まで西方寺(西寺)へ170年程、寺基がうつされる。

○後南御室一品大王 正保5年1648
*31代 慶譽 元和3年(1617)総在西寺別當 勝運坊法印慶譽 寛文2年寂 1662年 

○當寺住僧法蓮社圓譽上人大和尚 延寶甲寅78歳 1674 ※法蓮社圓譽慈給上人
○東福門院 延宝6年 1678
○※威儀師浄譽維清法印 貞亨2年乙丑 1685 俗名 高橋氏大進
*33代 幸譽 元禄5年 1692 ※法印幸譽
※信蓮社行譽○説 元禄9年 1696
※光玄院明譽幸林法尼 宝永5年戌子 1708
○大威儀師法印一譽維純 亨保7年寅年 1722
※息菴上人 亨保12年1727
※湛慧律師 延享4年1747

*34代 幸存 延宝6年(1678)殿中得度 戒師、真乗院孝源僧正 龍哲坊幸永 延享4年85歳(1747)西方寺葬 刑部郷 ※前総在法印幸永
※前総在廳法印隆敬之墓 寛延元年1748
*35代 鳴瀧幸成(又幸淳) 元禄11年(1698)殿中得度 戒師、真乗院大僧正孝源 元文元年(1736)総在廳兼西寺別當 元文4年称号鳴瀧之文字如願被 ○大威儀師前西寺別當法印幸淳 寶歴3年発酉68歳 1753 龍仙坊 宮内卿 ※

○※景淳院清月寿照法尼 天明7年 1787
※隆貞大孺人 寛政6年 1794  井端氏織田総見院殿之代々子孫

*※36代鳴瀧幸俊 ○大威儀師前西寺別當法印幸秀 寛政6年甲寅53歳 1794 龍仙坊 宮内卿
※37代鳴瀧幸寛 ※法印幸寛 文政8年44歳寂 1825 西方寺葬 龍仙坊 宰相改兵部卿
*※38代鳴瀧暁暹 ○明観院法眼暁暹 天保12年27歳 1841 龍謹坊 兵部卿

○栄松院寛空寿林法尼 文久元年 1861
○當寺一代 堪空博忍上人廣圓和尚 明治元年 尾州常念寺(西山浄土宗?) 1868

*※39代鳴瀧幸昌 渓雲院龍潜幸昌居士 明治14年西方寺葬 文久二年(1862)威儀師、同年隠居 王政復古のため位記消滅

○當山壱代 清空博院上人圓浄和尚 明治16年未年 尾州常念寺明空上人徒弟 1883
○※順空辯孝上人魏山和尚 大正9年寂 1920 奈良は村田珠光のお寺の称名寺より
○※寛空源宥上人双丘和尚 昭和63年寂 1988 愛知の曼荼羅寺より

もともと西方寺の前身が三条天皇第一皇子の小一条院敦明親王の隠棲所だった。
仁和寺山門より南は双ケ丘を目前に望め、そのすぐ西に西方寺が位置している。
天皇になれなかった皇族は代々、仁和寺におさまる事例があり、敦明親王の子孫も
仁和寺に勤めることがあったようだから、親王の隠棲所であったところが寺院に整備され
仁和寺に出仕する僧が住居していたのではないかと考えられる。

大きい寺院として整備されていた頃もあれば廃寺になっていた時期もあるだろう。
宇都宮蓮生がその境内に念仏堂を建てた頃は隆盛を誇っていたのかもしれない。
当初から西方寺という名前ではなく、仁和寺の西に所在するので、西寺(西方寺)と称していたが、
後に前西寺との表記もある。

西方寺は敦明親王の子孫の鳴瀧家との関係が深く、鳴瀧は御室の西の地名にもなっている。
東福門院の位牌があるのは、その鳴瀧の土地に尾形乾山など文化人が多く住居している関連から
後水尾天皇の庇護がこの地域にあったことを想像させる。

















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# by munehito_miwa | 2017-09-07 15:27 | 雑記 | Trackback | Comments(0)