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上映とひょうたん笛の演奏会

個人的に民族音楽がとても好きです。
ホーメイとか口琴。鼻笛とかカリンバ、ジェンベ・・・ほかほかほか。
その中でも、ひょうたん笛を吹かれる伊藤さんのファンで2年前にも演奏をお願いしたのですが、
その彼が、映画を撮られたとの事で、自坊にて上映会をさせて頂くことになりました。
世界各国の映画祭にて上映されている作品。さて、ウチでほんとにええんやろか?
と思いつつ、好きなのでお願いしました。

何故、そんなに好きなのか?という自分の感情ははっきりとしませんが、
遠い過去に聴いたことのあるような懐かしい響き、懐かしいメロディー。
胸の奥に響くような気持ち。

とある能楽師の方が、なぜ能が好きなのか?と問われて
「能楽囃子を聴いていると、なんだか血が騒ぐ」
と仰られていました。

証明できませんが、遺伝子の問題なのかもしれませんし
自身の生まれてきてからの、勉強や体験などの経験からなのかもしれません

7月中はずっと祇園祭が催行され
8月はお盆に七夕(旧暦の七夕は今年は8月24日)
古来よりある伝統や信仰、祭りに心が動かされるのは、
人が古来より積み上げてきたものが、一人一人と、
実は体のあちこちに詰まっているからかもしれません。
*正直、こんなに暑く過ごしにくい季節は、あえて、なにかの行事を入れなければ体を壊しやすく
行事を催す事により、心と体を整え、辛い季節を乗り切っていたのではないでしょうか。


さぁ、そんな記憶は観ること聴くことで出てくるや否や。

2012年9月8日(土)18時~
古御所 西方寺 本堂にて
地図
mumuhito@hotmail.com
入場無料
*よろしければカンパをお願いいたします。

以下、紹介

民族誌映像『リックヤート―こころを架けることば』(58分)
制作:2012年(30分短編2011年)、撮影:中国雲南省徳宏州、監督・撮影:伊藤悟。

徳宏タイの人びとは上座仏教を信仰する。よりよい来世の転生のために、人びとは善行を重ねて功徳を積む。なかでも長い歳月をかけて貯蓄した財産を投げうって行う仏像寄進儀礼は最大の積徳行だという。この儀礼を記憶するために施主は知識人に依頼し、施主たちの善行を「歴史」にまとめあげる一冊の書物「リックヤート」に記す。
この作品は失われつつあるタイ族の伝統を守ろうと奮闘する女性ワン・シャーンヤーの活動を追ったものである。彼女はことばの技巧に優れ、その美しい朗誦の声は人びとから絶賛を博す。おそらく彼女は女性としてタイ族の歴史上、最初で最後のリックヤート執筆・朗誦者だろう。


伊藤悟 いとうさとる
98年より中国雲南省に滞在し、少数民族音楽を学ぶ。特に、故エンダーチュエンよりタイ族の「ひょうたん笛」(フルス)を学び、その音色や歌に惚れ込み村々の老人を訪ねて回る。その後もチェンマイやラオスで音楽を学ぶ傍ら演奏活動を開始。アジアの民族芸術の研究ならびに、日本、中国そしてタイで演奏活動を行なっている。テーマは、People, Life and Music.
ブログ People, Life and Music.

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by munehito_miwa | 2012-07-19 15:27 | 自坊行事 | Trackback | Comments(2)

ブータンのシンポジウムで思ったこと

ブータンのシンポでお題が、仏教と戦争だったのだけれど、今枝先生のお話。
先代国王がスーパースターで、戦争を仏教的教えを基盤とした直感による行動で解決しました的話であった。
「ただ良い人間でありなさい」という直感。それは穿ってみれば、ドロドロとした取引や交渉など、
世渡り上手な選択も直感で出来る強みなのかな。

というのも平和な国といいながら紛争が過去にあって、そのアッサム武装勢力を掃討するための軍事行動が決行されたわけだが、
「軍にとって一番難しい事は、勝つことではなく、平和を保つことである」
という考え方を持ち。たとえ勝利しても、戦勝祝いをせず、捕虜に対しても平等。不殺生戒という、仏教を基盤とした考え方を実行にうつすことによって、報復行為を防いだとされるようだ。

それは「ただ良い人間でありなさい」という事(直感?)の実践なのか、はてまた、対外関係はインドを介して行われていたように、海千山千の交渉上手だったのか?
「国王を政治的ドロドロから遠ざけるために、理論ではなく直感で判断する『無垢な存在』にしてあるのでは」
という友人談は秀逸でした。

ただ、「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」という法句経の言葉を
戦争にも国家の精神基盤として、選択しているだろうことは頼もしいことだと思う。
よくよく、自分を見つめなおして考えてみれば、わかりそうなものだ。

ブータンには特に「幸せ」という抽象概念はないらしいが、国民にそうたらしめているのが、
祈りの時間との事。それは学生でも一日一時間はあって、
それは自分をみつめる時間。

自分を見つめる時間を削って経済活動に費やさされている何処かの国とは違う。
他国との交渉が下手なのも、国民の声も音にしか聞こえないと言ってしまうのも。
自分を見つめる時間があれば、沖縄の基地や、放射能や原発で 困っている人の声は
ちゃんと声として聞こえて、直感として助ける側に回れるハズなんだけど、そうはならない。
毎年、自死が3万人を超える国の中で、国民の苦しむ政策を続けてしまう事は、
いま問題になっている中学のいじめと一体どう違うのだろうか?
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by munehito_miwa | 2012-07-09 15:33 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

欲望増幅装置について

最近FBやツイッターにかまけて、ブログが置き去りになってました。
こちらにもちょこちょこ案内や以下のような記述を戻しておこうかな、
と、FBやツイッターに書いてた文章をまず一本

パワースポットのブームが長いこと続いてる。
その場所に入る度に思うことは、欲望と執着の集積する場に変じていて、清々しいというよりも、ドロドロとした雰囲気を纏っている場がある。そのドロドロとした異様な雰囲気がパワーだと勘違いしている人もいるのかもしれない。

神社などでは清々しい空間を作るため、毎日お祓いして、少しでもそういった魔が入らぬようお焚きあげなどしているようですが、
本来その土地と関係ないところから多くの願望を持ってお参りされる人を、「パワーがもらえるから」と、どんどん送客するのが地域興しという形になっているが、振興という名の経済活動で、それは信仰とは違う形でお参りをされているのではないかと感じている。

経済振興は社寺の本来の役割を忘れさせる麻薬のようなトラップで、寺院に目立って(個人的な感想)トラップに引っかかってる場が多いように思う。(訳の分からない仏像群があるようなところとか)

せっかく人里離れたところ(欲望や執着から離れる修行のため?)に作ったのに、その場所に願望を叶えてもらうために人が行き過ぎるのは、良い「気」が散るうえに、さらに「欲」の念が溜まる場所になるのではないのか。

古代から神仏と崇められた対象からこちらが何を気付くかが問題であって、一方的に何かを求めに行くように薦めるのではなくて、
現代であれば、御神水が煮沸しないと飲めなくなったとか、神域の山が開発されたとか、鹿によって下草が食べられて保水力を失った境内地が拡がっているとか、神域が放射能で汚染されてるとか、そういったところから、なにか自分自身が気付くきっかけを得るように
神様仏様は、自分を映すカガミと、懺悔と感謝してお参りできたらと思います。

まぁでも、ブームで欲望だらけの自分に気づくのも、良きことかな。
そういう意味でも、現代は自分自身に向き合う時間が徹底的にかけているのではないだろうか。
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by munehito_miwa | 2012-07-09 14:34 | 雑記 | Trackback | Comments(0)