<   2010年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

連呼で陶酔

世の中のヒットソングを、よくよく眺めて見たら
露骨な愛の告白や誘惑に溢れていた。

不自然に感じないのは、心の中は常に普通にそんな状態だからなのか。
あまりに紋切り型過ぎて、内容は意識していないのか
たんに感じる感覚が麻痺しているのか

そのなかでも、たまに、はっ、とさせられるのは
歌詞が自分の体験だろうな、とわかる時。
その歌詞を、客観的に詩的に眺めて書いて、それを主観的に歌う人がたまにいる
そんな愛の告白。

主観的過ぎてきみ悪い人もいるけど。。。

鳥も昆虫も、綺麗な声で、飾った姿で求めるものは同じ

自身の感情の発露。

昔のヒットソングもそんなところだろう。
和歌も今様も聲明も演歌も、感情の発露が言葉になり声になり歌になり踊りになり
[PR]
by munehito_miwa | 2010-12-17 01:05 | 気になる | Trackback | Comments(0)

素朴な音とは

聲明は日本の音楽の源流とも言われていますが。
歌という意味でおもしろいなぁ、と感じる日々。

ユニゾンなんだけど、そのシンプルさが、かえって想像力や聴きての感性を刺激するように思える。
称えるのも、聴いているのも、慣れてくると倍音が捉えられるようになってくる。

歌とか音楽というのは、もともとの成り立ちは、神と交信するとか
神に捧げるとかの意味合いがあるようですが

それはお為後かしで、本能による異性への求愛から始まっているのではないのか?
とも思う訳です。

懐かしい、古代の日本では和歌にて恋人を作った時代
民族楽器には、そういう異性へのアプローチに使う意味での発祥の楽器が多くあるようだ。
アイヌのトンコリやムックリ
17日の法要で吹いていただく、中国のひょうたん笛もそのようらしい。

ましてや坊さんも、現在ではなかなか考えられない話しだけど
お経を称える声を競って、容姿も声も美しい坊さんに、世の女子が集ったとの話も聞いたり。

そんな素朴な楽しいものであったろうに、儀式化や形式化され、融通のきかない
面白味のないものが、現在に残っているのだとしたら、もったいない話だ。

鳥のさえずりや、虫の音のように、素朴な、心に直接響くような
そんな音を、囚われなく紡ぎ出せればよいのになぁ。
[PR]
by munehito_miwa | 2010-12-08 21:47 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

境い目を溶け合わすよう

f0056808_14514110.jpg


そろそろ紅葉も観おさめでしょうか。
上は光明寺11月26日のようす。

西方寺の紅葉も今が見ごろとばかりに
目の前に多様な色どりをみせてくれます。
足下の散紅葉も少しづつ増えてきています。

何故、こんなに紅葉が綺麗なのかを観察してみて、
思うのは、同じ紅葉でも大きさや場所、枝ぶりなどで
色づきが変わってくる。陽に当たるところから赤く染まり
下は緑や黄色の色の葉など・・・。

一本だけでもそれだけの多彩さがあるのに
それが、集合することで、こうも目眩のするような世界が出来あがることに感動する。
同じ紅葉でもみんな違い、それぞれが合わさるときらめく感じ。。。



これだっ!! と思い、早速その日の料理では、
これでもか!というぐらいの香辛料やハーブを多種多様に詰め込んだ料理を試してみた結果は


味覚が目眩を起こした・・・・。




人為的な調合には説明書が不可欠であることを学んだところで、
目眩のするようなきらめく世界を音で演出するのは、個人的にはインド音楽だと思っている。
f0056808_157440.jpg

一つの弦楽器には20本以上の弦がひかれ、一つの弦を弾くたびに、それにともなう倍音が響き渡る。
インド音楽には説明書はないようですが、音の理論には宇宙や自然との繋がり、連環なのど意識があるようだ。日本でいうところの雅楽もそんな世界観。
それを意識するか意識しないか、によって世界の見え方が変わるかもしれないし
それを意識させるような音の配置を考えるというか、感じるというのが古代の科学でもあったよう。
人為的に作用を起こさせるというのではなく、自然に人が寄り添い、一緒に変化させていくような。
寄り添うことで、その場の自然の流れを一時的に通常とは違う不思議な空間に持っていくような

境い目を溶け合わすよう


今週日曜日です。→インド古典音楽 西方寺12月5日17時~
[PR]
by munehito_miwa | 2010-12-01 15:17 | 日常 | Trackback | Comments(0)