カテゴリ:日常( 64 )

普通の町寺

彼岸の中日も過ぎ、今日も雨ということでお寺も落ち着いてきました。
中日の日の空は黄砂で真っ白でしたが、本堂の中もお香の煙で真っ白でした。
毎年、多くの方にお参り頂けることをありがたく思います。

明日、長岡のお寺で彼岸あけの法要に雅楽で出仕させて頂き、春の彼岸行事は終了。

ところで、三連休の最終日に水族館の説明会がありました。
水族館をつくることに関して、京都市は『「住民投票」必要ない』という事らしいです。
朝の新聞みてびっくり。水族館の件に関して京都に住む人の意見を聞く必要はない、
という意味でしょうか。民主主義ってなんだろう、と考えてしまいます。

それと告知ですが
26日(金)

ダダ漏れ坊主第2段「こんなお坊さんどうですか会議」
@ボンズクラブにお呼ばれ。
ウェブでも
◦Twitterハッシュタグ:#thinkmonk #ddmrbouzu や
◦Ustream:http://www.ustream.tv/channel/thinkmonk
で放送されるようですし、
皆様素敵な坊さんばかりなので、
私はひそやかに行儀よく楽しみたいと思います。
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by munehito_miwa | 2010-03-23 13:10 | 日常 | Trackback | Comments(0)

ブラミッダ

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大阪にて聖地チベット展
あまりの仏像群に驚き、生命の想像力に畏怖を感じる
お堂でお祀りされているときの衣を脱がせて展示したり
仏様の扱いが悪いような気もした。
せっかく日本までこられているのだから、
現在あちらで起こっている社会状況についても
触れられれば仏さまも喜ぶだろうに。。。

その後、難波宮の跡地に行く
貴族気分で古代の風景を想像しながら。
現在では、大阪の憩いの場所になっていて
ゴムの綱渡りみたいな、ゴム渡り?にいそしむ若者と
かなりレアな楽器、ビリンバウを練習している人がいて吃驚

難波は難波津というだけあり、現在では海は遠く彼方ですが、昔は海傍というか川傍
能の難波の世界なんて想像できないよ、と思っていたのですが
現代の裏道の熊野街道を歩いていると、残った古い家は海川風に耐える強固なつくり
道路の起伏も大きく、昔の谷の石垣など探しながら(大阪城の堀かな)、某TVのようにブラブラ歩くの楽しい。

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by munehito_miwa | 2010-03-14 22:40 | 日常 | Trackback | Comments(0)

呼吸に意識のあるとき

知り合いの食に関するセミナーにて、笙を吹いてきた。
食の考え方も陰陽五行 笙など雅楽も陰陽五行の思想
食も音も、川も木も土も火も金も、
万物自然はみな循環していることを気づくためのピースで
それをはめつつ、世界を広げ、クリアにみていく過程のような気がする
それを意識して俯瞰してみていくことで、
ある程度の安心を得ることができる気がしてる。

笙や謡をするときはいやがおうでも自身の呼吸に意識が向き
腹の動き咽喉の動き、胸の緊張 額を伝う汗 毛穴の感じ
外に出ている音 中に響いている音
それらが人ごとのように、今の瞬間に流れている感覚

「勝手に動いてくれている」など
オリンピックを観ていたときの選手の言葉で顕著だったのは
皆、自分の体をひとのもののように話しているような感覚

それは、よく宗教でいう「体は神からの借り物」的発想だが
しってかしらずか実体験している人の場合は信じられるが
口で煽り、体験のないのは愚
頭よりまず行動することによって、正しく進める分野のなんと多いことか


様式、しきたり、型


の重要さを今更に思う
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by munehito_miwa | 2010-03-10 23:07 | 日常 | Trackback | Comments(2)

旧正月

今日は旧暦の一月二日 正月です。

バレンタインやオリンピック、春節祭など、催しが盛りだくさんなのですが
ここ数年、世の中の催しがひとつひとつ、盛り上がらない
というよりもテレビラジオなどで盛り上げようとする催しが
盛り上がっていないように感じられる。

メディアに乗せられていた

ようにも思うし、今でも確実に乗せられる(洗脳される)ているとは思いますが
ある程度そういったものから少しずつさめてきた感がある。

オリンピックの競技の結果を報道でみるのは、
無理やりな期待と順位結果と感傷的話の主観的報道ばかりでげんなりする。
客観的な内容だけで十分に思う。

なにより、競技の中継がおもしろい。
結果以外のドラマが、体から表情から、人との関係性まで選手からあふれ出ていて
それだけで感動する場面がいっぱいだ。(自国ひいきの実況が癇に障るが)
結果なんてどうでもよく感じ、結果ばかり言うのが、なんだか悲しくなる。

メダルが取れるとかなんとかよりも、まず、こんなおもしろい競技があるからみて下さい!
だけの報道ってないもんだろうか。

政治報道も冷めてしまう内容ばかり
逆に国民を冷めさすのが報道の役割なのかと疑ってしまう。
利権者とゴマすり上手な人だけの政治なら、赤字が増えるしかないなー。

報道に冷めるのは、客観的にモノをみるきっかけにならないだろうか。

チョコを食しながら思う。
いもぼう食べたい
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by munehito_miwa | 2010-02-15 10:13 | 日常 | Trackback | Comments(0)

いくつになっても・・・

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やってしまうものです。
はやく大人になりたい・・・。
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by munehito_miwa | 2010-02-10 16:45 | 日常 | Trackback | Comments(2)

あうげやあうげ

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能の謡を初めて、そろそろ一年。
明日は新年会にて土蜘蛛の頼光の役

今まで扇を持っていませんでしたが、そろそろ欲しいとお買いもの。
しかし、京都に長年住みながら、、、。新風館はオープン当初から通いながら、、、・
その向かいにある扇の店には気づきませんでした。

趣味趣向が年々変化していくなか、
華やかな世界から、なにやら色々そぎ落としたものに興味が移るようになってきました。

目立つ店より、ひっそりとやっている店
華やかな装飾あふれる音楽より、必要な音だけが鳴っている音楽
シンプルなデザイン。

脳みそが古典になってきている。
携帯ショップの店員の能力にまったくついていけないなど、脳がおっさん化している。
今度、韓国のヘグムと、シベリアのイギル、フィドルと馬頭琴を聴きに行くのが楽しみなのだが、
先日久しぶりにCDショップにいけば、知らない音楽、知らない流行り、知らない機器に溢れてて吃驚。

コンサートホールでショスタコービッチが聞きたい。


そういうモノ達に会う年にしたいと、扇(あうぎ)を購入という無理やり。
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by munehito_miwa | 2010-01-08 12:28 | 日常 | Trackback | Comments(3)

謹賀新年

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今年は図のボンジーに少しでも近づけるように、自分の事よりも人の事を頑張れるようにしたいです。

捨身飼虎図より
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by munehito_miwa | 2010-01-01 00:00 | 日常 | Trackback | Comments(4)

毎年恒例

ここ数年、秋の深まる時期になると
必ず行くようにしている展覧会。世界報道写真展今年も立命に行ってきました。

秋は食・祭・紅葉・芸術などのイベント目白押しで心が浮つき気味ですが
写真展では、世界で起こっている過酷な現実を改めて見せ付けられます。

自身が今年にあったことを忘れて行くスピードがどんなに早いか、
情報を上辺でしか見聞きや、考える事をしていないのかを思い知らされます。

あらためて今年起こっていることを心に踏まえ、今年の残りを過ごします。

先日は聲明の先生が出演されるので天台聲明の夕べへ伺う。
やはり関係者が多いのか、会場で数名知人に会う。

とても心地の良い時間。
うつらうつらと、夢うつつ。{夢と空(うつ)ろ、と現(うつつ)}
お坊さん16人がお経のユニゾン。
皆さんだいたい同じ音程で唱えているのに、遠くで一オクターブ高い女性の声が聴こえるような・・・。
そんな不思議な音でした。解説の女性は「倍音が聴こえましたか?」と言っていましたが。
そのことでしょうか。

前半では三弦との共演がありました。
三弦は単体ではものすごく良いのですが、聲明とはまったくあっていないように聴こえました。
日本の伝統音楽は時代が下ると、音がシャープに単音になっていくと感じているのですが、(能や三弦など)
そういう楽器と倍音などと言ってる聲明は、反対のベクトルの音楽のように思えます。

後半のシンセとドラムとソプラノとの共演は、その聲明の倍音に合わせるような、
音をぼかしたつくりだったので自然に聴けました。

単音→覚醒 倍音→陶酔
のような感じでしょうか。
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by munehito_miwa | 2009-11-05 14:27 | 日常 | Trackback | Comments(0)

盆でする話?

盆参りの際に、「盆と関係がないな」と思いつつ
何故だか、話の流れで蛭子(ヒルコ)の話をした。


イザナギノミコトとイザナミノミコトの結婚で生まれたのは
有名な3神だけでなくて、3年経っても立てなかった
不具の子ヒルコがいて、舟で川に流されました。
やがて、川から海へ流れ、漂流し、打ち上げられたヒルコの死体は浜辺の人に拾われ、海の向こう、遠くの異界から流れ着いたマレビト(稀人・客人)として祀られ
漁業の福神、恵比寿・蛭子(えびす)さんになりました。


という話。
やっぱり盆と関係ないな、と思いつつ。
何故、この話をしてしまったのか?とその夜考える。


彼の地から此の地へなにかが還ってくる際
日本の民族は客人としてもてなしたりお祀りする、ということ。
お祀りすることで、神道でいう「死の穢れ」を「福」に転じよう、「福」を得ようとする発想の装置がある。
                  

佛教では死を穢れとはしませんが、先祖をお参りすることで「福」を得ようということはあるかもしれません。
お盆で先祖が還ってくる際も、同じようにおもてなしをし、お祀りするという風習が残っています。

「福」への転じ方としては・・・
還って来た先祖さんと一緒に暮らしている、という意識を働かせる事にあるかと。
「故人は偉い」と誰かが言われてましたが
故人は亡くなった時点である程度、人格が定まり、
誰かみたいにぶれないところが偉いのかと思われます。

見習うことにせよ、反面教師にするにせよ
ぶれない人(故人・先祖)に相談すること(自身の内面に向き合うこと)は自身の心のケアや、自身のぶれに気付かさせてくれ、軌道修正でき、間違った道に進みにくく、かつ良い選択をもたらしてくれるもの。

そういったことが「福」につながることを昔の人は知っていたのではないかと思います。
自身が内面に向き合う事の「福」に気付かせる装置としての「お盆」があるのかもしれません。


参考文献 
斎藤英喜『読み替えられた日本神話』
カールベッカー編著『愛する者の死とどう向き合うか』

つい一昨日
手塚先生の『どろろ』を初めて読んだのですが
不具の子供が妖怪退治のヒーローになるところが
蛭子(ヒルコ)みたいですごくおもしろかったです。
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by munehito_miwa | 2009-08-23 11:48 | 日常 | Trackback | Comments(0)

お祭りとお盆の季節がきた。

この人もいづれいなくなるんやろな。

そのとき私はどんな気持ちやろな。


人と話をしている時や、
新しい人と知り合う時に
ふと考えてしまうことはそんなこと。



「うつろい」という言葉がおもしろくて
うつ(空)とうつつ(現)が含まれた言葉とのこと
                    松岡正剛『神仏たちの秘密』

一瞬一瞬がうつろう世ですが、つくづく確かなものがないよな、と日々実感することばかり。両親の記憶は日々薄れていくし。

私がやったことや、読んだ本を今読み返しても、ほとんどは覚えていない。いまその本を読んで、その内容を改めて感じているうつつ(現)の自分に気付く。


うつろう世の中。死者との付き合いもうつろうもので
いなくなった人の話を他者とすることにより、私の死者の理解がまた変化し、
改めて構築される。死は終わりでなく、死者さえもうつろい続ける感覚をつかむ。

私もうつろい、会えない人もうつろう世界は
うつ(空)の部分で影響しあうような気がする。

子供のいない私が
祇園祭で必死にお役目を遂げる稚児や、
クジ改めの儀式を立派にこなす子供に感動してしまうのもうつ(空)の部分で
なにかが繋がっているのではないかと訝ってみる。

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8月1日(土)はウチの寺の前の神社。天王社のお祭りです。
太鼓が鳴って、アイヌの楽器が鳴って、ひたすらビールとつまみと買い物の祭りです。
お祭り
皆様おこしやすー。

寺では、すぐにお盆参りが始まりますね。
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by munehito_miwa | 2009-07-18 11:33 | 日常 | Trackback | Comments(0)