カテゴリ:瞑想( 5 )

近況

覚えているはずなのに、思い出せない出来事


タンスの中にモノが溜まりすぎて、あったことを忘れている服など
あるはずなのに忘れている、そんな事柄を意識するようになった。

年々、一年経つ事がはやく感じられる。
あっという間に、今年も終盤に差し掛かっている。

覚えているはずの、忘れていないはずの出来事が積み重なってきたようで
いついつに何をしたのか?ひとつひとつの事柄が他の事柄と混ざってきて、
記憶も混ざり合い、時間の感覚がゆるりと溶け合い、繋がっていく。

あぁ、一年っていう時間の観念っているの?


もう忘年会の予定まで動き出してしまっている。

あぁ、今年ほど、なかった事にしてしまいたい年もないが
今年ほど、忘れることのできない年もない事だろう。
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by munehito_miwa | 2011-10-19 20:39 | 瞑想 | Trackback | Comments(0)

本能

ここ数日、京都はとても冷え込んでいます。
家の寺の柿の葉は3分の2以上が葉を落とし、
3本あるモミジも1本が半分以上色づきました。

京都の社寺はライトアップでも沢山の観光客を誘致しますが
先日は京都御苑「平安王朝の夜と御苑の森」
御苑の森ライトダウンに行ってきました。

あいにくの曇り空で、月もはっきりとはみえませんでしたが
人工のあかりの少ない、自然の月明かりの中、森を散策しました。

興味深く感じたのは、
暗闇の中だと、辺りの気配に鋭敏になっている自分に気づいた事でした。

自転車のライトが遠く100メートル程先でちらつくだけで、意識に強くその情報が入る。
遠くで砂利を踏み歩く人の足音、話し声。

風の音、虫の声。
木々の擦れ合う音。

目が暗闇に慣れるにつれ
枝々の輪郭をはっきりと見た気がした。
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by munehito_miwa | 2008-11-11 14:03 | 瞑想 | Trackback | Comments(0)

常に無く

新緑の季節です。
何もせず、ボーッと庭を前に縁側で座っているだけで楽しい。

ある時、目に
ある時、耳に
ある時、鼻に
ある時、肌に
せわしなく

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最近、菜食に食生活をシフトしてから、好みが妙に甘い物に向くのです。
オ・グルニエ・ドールに行ってきた。

平日の夕方なのに、店内は満席で、僕はテイクアウトだったので平気だったのですが
ガラスケースの中に陳列されている、ケーキには品切れが目立っていました。
卵の多く入ったスイーツは苦手になっているので、リンゴタルトを購入。
*大好きだったフィナンシェやプリンがダメなのです(泣)

近くの公園でコーヒーと一緒にタルトを食そう、と公園の中を眺めると
ピンクや赤、緑の混じる広い公園の中で
紫が僕を呼んでいた。

ベンチに座ると、天井が総て紫の藤の花で妖艶に絡まれ、覆われているのです。
絡み具合がエロティック!(検索で調べてみたらエロサイトにも飛びました《恥》)

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 (*鈴蘭の香りは藤と似ている気がする。藤は背伸びをして、鈴蘭は地面に這いつくばってにほぐ。虫の世界では流行の匂いなのかも。)

藤の下でリンゴタルトを食していたのですが・・・

不意に香りが鼻腔に飛び込んでくる
鼻に意識を集中するが、香りは去った後。

コーヒーを飲んだ後
また、不意に香りが飛び込んでくる。

立ち上がり、藤に鼻を寄せる。
香りを感じないが、その姿を眺めていると
不意に香りが鼻腔に立ち込める。

常にでなく、運ばれて、去っていく。
常に無く
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by munehito_miwa | 2006-04-28 13:46 | 瞑想 | Trackback | Comments(6)

消えるために生まれてくる(時期はずれの話)

3月の末日は雪でした

まさしく「春の雪」だなぁなんて、三島ファンとしては嬉しい気持ちになるのですが
なるべく温暖化で春に雪が降らなくならないよう、僕もすこしでも生活から心がけます。

ところで、雪といえば、雪だるまとか雪合戦とか、色々、連想されると思うのですが、

雪は結晶なんですよね

知識では知っているんですよ。
結晶なんだ、ということは知っている。



でも実は自分の眼で本物はみたことないな、と思い。
空に手をかざした。

曇天の空から、辺り一面に散らばる粉雪
自分の手のひらにもすぐに、3辺4辺と散らばる

みえない

すぐに手の雪がみれるように、眼を近づけて
なんかいも なんかいも手にうけて結晶を見ようとする。

見えた!!

と思ったら、もう無い
水滴に変わってしまった。
手のひらの体温で融けてしまうんだ、と気付いて
服の上に粉雪をのせてまた見る

見えた!!
と思ったら、もう無い
今度は服にしみこんで、しみにもならない。


一瞬だけど、本当に驚くほど綺麗で、夢中になる。


そんなことを繰り返しながら、時間が過ぎて

「こんなことをしてても仕方がないな」
と気付いて、部屋に戻ったのでした。


たまたま、雪の結晶として現われただけで
水滴になって、しみこんで、蒸発して、また空からおちてくるかもしれない。

今はたまたま

僕もたまたま

皆たまたま
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by munehito_miwa | 2006-04-18 11:05 | 瞑想 | Trackback | Comments(5)

消えるために生まれてくる

消えるために生まれてくる

もう一般的にいわれる一生の3分の1以上生きた
明日にでも自分が死んでしまうような気がする。

これって以上かなー?
本当は、なんか正常なことのように思える。

以前、時宗の和尚が
「時宗ていうのは、臨命終時宗ていうんやで」
「まさに臨終のときに念仏となえへんかったら、成仏できません」
と言われていた。
後、
「悟っていた人は、死後硬直しません」
とも。

まぁ、多分、単に臨終の際に念仏したら良いという話でもなく
それを唱える気持ち→死に望む気持ち→死の感覚と覚悟が必要なんだろな、と。

死の感覚と覚悟が必要だということは、自身が死ぬということを、あらかじめ理解していないといけない。

最近、医者の旦那さんと、看護婦の奥さんの話を聞いた。
その旦那さんが癌にかかり、自身でも診断結果の意味がわかったようだ。
最初は抗がん剤をうっていたが、それを全面拒否し、自宅で奥さんと一緒にいつも通り(ただ、食事は1日1回の点滴だけ)の生活を続けていたようだ。
いつも通りの生活を続け、いつも通りの朝をむかえ、夕方にいつも通りではなく寝て、
いびきをかいたら、そのまま逝かれたようだ。

先日の故人は臨終時にとても暴れた。
遺族に聞くと、必死に生きようともがいていたように見えたらしい。

死の感覚と覚悟がないまま、死にいきなり直面するとき
誰でも暴れるだろうな、死から逃げようとするだろうな。
いざ、死んでも、身体の機能が止まっても、死んだことが分からないのかもしれない。

いつ自分が死ぬのか、その感覚を感じているのなら、臨終時は穏やかなのだろう。

人間の機能器官で、最後まで生き残っているのが聴覚らしい。
死後硬直した身体は、看取った近親者が、「心配しなくてもいいだよ」と、さかんに故人に声をかけ続けながら身体をマッサージして身体をほぐしていく。

夜中、デジタルの時計が点滅するたびに、死に向かっていることを思う
そういえば、ボール投げばかりしていたような、自分が小さかった頃
自分の心臓の音を聴くのが嫌だったことを思い出した。
一生で脈打つ回数は決まっているんだっけ?

昨日、沈丁花を花瓶に生けたら、部屋がいい匂いをしている。
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by munehito_miwa | 2006-04-04 09:13 | 瞑想 | Trackback | Comments(8)