雰囲気

奈良時代に紫香楽宮(信楽寺)のあった付近にある
ミホミュージアム「大いなる時を越えて」展に行ってきました。

古代から順々に収蔵品を展示されていたのですが
中でも「多聞天立像」
像が動くわけないのですが、迫力があり、姿が動きにみちており
ずっと眺めていたら、動いている気がしてならない。
姿は変わらなくても、動悸でもしているのではないか、と思った。

一度出口からでても気になったので
もう一度入場して、再度、多聞天を眺めるが
もう充分に思ったのか、多聞天さんの動きが少なくなった気がした。

男神像も生きているようだ。
切れ長の目をした、にひるな顔した神様だ。

f0056808_14173524.jpg

*何故か屋久島写真

ここの美術館は3回目ですが
常設店も結構入れ替わりがあり、楽しめたが
それにしてもすごいコレクション。
新宗教の力はあらためてすごいなぁ、と思う。

f0056808_14262545.jpg

*何故か2

大体、展示されているような美術品は
古代から祭祀の道具であったり、神や仏の偶像であったりと
信仰の道具であり、対象であったりする宗教関係に属するものが多い。
それを現代にできた新宗教がコレクションするというのもおもしろいものだ。

もともとは、僕のような一般人は見ることが出来なかったと思う。
神像などは秘仏であったろうし、祭祀道具も秘せられていた。
現代でも天皇の大嘗祭の詳細は秘せられているが、そのようなものだろう。

秘せられたものは、計りかね
畏怖の対象になり、秘仏である厨子のなかの「神仏をみれば目がつぶれる」とか
白州正子さんの本で見たが、
そういう信仰が高度成長期までは残っていたのかもしれない。

であれば、さらにその像や祭器をつくる職人の立場でみればなおさらで
現代でも、先日、仏師に聞いてみれば
「木の中にいる仏を彫りだす感覚が解って来たような気がするときがあります」
と聞いたりする。
それは陶芸家でも能面氏でも、ものづくりの人には共通する話だ。

たまに仏像などをみて、生きているような気がすることがあるのは
そういったなにかに対する畏怖や、なにかに対する信仰があるかな。
[PR]
by munehito_miwa | 2007-09-15 14:21 | 日常 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://saiho310.exblog.jp/tb/6350899
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by hiruu at 2007-09-19 21:37
こんばんは。ミホミュージアム、一度行ってみたいところです。新宗教が経営してるとは知りませんでしたが(金金金)、それだけすんごいもんがあると思うとますます行ってみたくなります。

>「木の中にいる仏を彫りだす感覚が解って来たような気がするときがあります」

こういう感覚が出てくるってのも畏怖だな~って思います。人間てすごい(^^)
Commented by munehito_miwa at 2007-09-23 20:03
いや素晴らしい美術館ですよ!
受付から、本館に行くのに送迎車でトンネルこえますから!!
「青山二郎展」からちょこちょこ行くのですが、
この展覧会で世界がひろがりました。
既成教団も、昔の遺産を今無理につくるのではなく
今の建物をつくったらいいのに、と思います。
頭が新しい宗教のほうがそりゃ流行りますよねぇ。
<< お月様 あらわれ >>