嬉々

先月、お寺で上映があった、伊藤さんの映画がモスクワ国際映像人類学映画祭でDebut Competition部門にて最優秀作品賞を受賞されたという、なんだかとっても嬉しい報告がブログでありました。
リックヤートこころを架けることば

映画で印象に残っているのは、朗詠の言葉と音楽性はもちろんだが、
上座仏教を信仰する人々の笑顔。
祭祀の僧侶がいない事。
人々が儀礼をするために財産を喜んで、嬉々として寄進をされることだ。

お坊さんがいなくても、仏教行事ができるんだー、
とのことで

ここで僧侶の意味を考える。
正直、お坊さんは要らないといえば要らない。
というよりも、お坊さんが要らないような状況になるまで
仏教の教えで、他者の心の援助するのが僧侶なのじゃないだろうか。

そういう意味で、新たに苦しんでいる人がいれば、その人の援助をし
その人の苦しみが和らげば、また次の苦しんでいる人のところに行く。
苦しんで来られる方もまた同じく、苦しみがやめば、また他の苦しんでいる人のために。
というのが、お釈迦様がされていたことではないか。

なにも関係性を、「~~でなければならない」などと縛ることはなく、
関係性をほどいていくことも苦しみからの解放であったり、楽しみに繋がる。
なにせ、仏教ではこの世との関係性がすこぶる?無くなる「死」ということを
「極楽に生まれる」とか言ってしまうぐらいだから。

そういうわけで、徳宏タイ族の皆さまが、
お坊さんなしで、笑顔で仏教行事を営んでいるのが興味深い。

ただ、仏教だけじゃなくて、宗教は経済と結びつきがキツくなってしまい
施設の維持とか、生活がかかってしまうので、宗教との結びつきをキツくするため
あの手この手の、勧誘や脅し文句なんかを使う。(*こころあたりありませんか?)
仏教でいえば、お釈迦さまの言っていないことをしてお布施を得る。

縁を結ぶなんて綺麗事を言うけど、結ぶんではなくて、
結ばれていることに気づく事の援助ができれば
わざわざ、その縁をキツく結んで締めて苦しまなくてもええやん、
などと、ゆるく宗教活動をしたいと思う昨今。

といいつつ、最後にうちの法要の宣伝をば!
11月12日(月)18時より
西方寺 開基 蓮生754回忌 勤修します。
法要内容は 聲明 今様 白拍子舞

お釈迦様の教えが、お経になり、念仏になり、唄になり、
はてまた踊りや舞になり、拡がる様子と、
何故、女性が男性の格好をして舞うのか?
と、女人往生や貴賎関係なく念仏往生の話などを
詳しく・・・語りませんが、感じて頂けるような内容にしたいと思っています。
入堂はお心持ち

お寺行事
[PR]
by munehito_miwa | 2012-10-25 14:15 | 自坊行事 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://saiho310.exblog.jp/tb/18101948
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 蓮生754回忌 記憶などの繋がりについて 蓮生... >>