ぼうさんうろうろたいこどんどん

「昔のお寺は今でいうレイヴみたいなもんですよ!」
とお酒の席で言い放ってみた。

平民が簡素な家に住んでいる中、極彩色の柱や、極彩色の四天王に守られ
天井からは金色の花が垂れさがり、その金色の花に囲まれた
これまた金ピカの如来や菩薩のいる巨大空間で
木魚のビートが鳴り響き、坊主頭の集団が思い思いにお経を高らかに絶唱!
ところどころに鐘の音が堂内に波紋のように響き渡る。
はたまた、それに歓喜極まった坊さんや観客がおもいおもいのお経をおのおの唱えながら
お堂をぐるぐる踊り回りだすような。そんな空間だったんじゃないかなぁ、と想像してみる

そんな事を近頃思いながら、うろうろしていると、寺町あたりで、
「ドンドコドンドコドンドコドンドコ」
と、付近に響き渡る太鼓のリズム。
あまりに音がでかくて、反響するので音の出どころが解らずキョロキョロしておれば
「なにを探しているんじゃ!」
と、道の門番みたいなおっちゃんに声をかけられる。
太鼓の音など説明して、お寺の事を教えて頂き、その日蓮宗のお寺に入りビートを堪能。
正直、今の現代舞踏とかやってる人なら、踊りまくれるだろうリズムだろうと思う。

最近の法要などは「こういうものだ!」とか「こうしないといけない!」
などというスタイルが各宗派で権威付けのためにきっちり過ぎるくらい決められているが、
本来はもっと自由なスタイルで、変化していったのではないかと感じている。
ある程度固まったスタイルはそれはそれで素敵なものだが、よりよい形を求めていく姿勢もよいかと思っているが、安易に西洋の音楽とのコラボとかなると阿保らしくしらけてみえるのも興趣深いところだ。

うちわ太鼓のリズムを堪能して、外にでればまたその門番。
何故か家に招待されて、一杯頂きながら身の上話を聴かせて頂く。
なんだかよくわからない流れだなと思いつつ、長居。
京都もまだまだ付き合いの営みが残っているのだなぁ、と感じた一件。

最近お寺の彼岸イベントの営業にて町をうろうろしていると色々ある。

営業先のお店やどこかで、色々なお話を聴かせて頂く。
こちらがお寺であることがわかれば、自身の菩提寺の事など、もう本当に愚痴からなにからなにまで?!
色々聴かせて頂くことが多い。
ということは、その菩提寺の和尚さんは、その檀信徒さんの話をちゃんと聴けているのだろうかと心配になる。それは自分の身にもあてはまることだが・・・。
人の話を良く聴いて得することはあっても損することはないかと思う。
聴く時間が、忙しいからといって、ないとするのがいけないのかな、と。

それでも京都はお寺がおもしろくて
インド音楽の大物が来日する際も(プルバヤン・チャッタルジー)東京ではホールだが、京都ではお寺。
日本人の遺伝子的に、お寺のほうがもしかしたら楽しめるのかもしれない。
[PR]
by munehito_miwa | 2010-08-30 22:25 | 日常 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://saiho310.exblog.jp/tb/14500556
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by タロ at 2010-09-02 08:11 x
イベント営業すてきですね

ほんとほんと
法要って自由なスタイルだったんでしょうね。
なんと申しあげてよいか、、、しがらみの多さにびっくりです 

うちの姫は法要の鐘の音にも泣かずお目目ぱっちりガールです 笑
涼しくなったらお邪魔いたしますねー
Commented by munehito_miwa at 2010-09-02 15:47
しがらみ。。。
しっかりしたはる宗派ですから、仕方ないですわね~
姫にはよ会いとおす
<< 最近のこと 餓鬼に施す >>