「一切の時、一切の方向が、吉祥でありますように 善が増していきますように」
父が5年前に、チベットを参拝旅行したところから、今回の話が廻ってきたのですが 上記の言葉は、父がチベットから持ち帰った仏教絵画に書かれていた内容の一部だった。 *右の柱の絵画 なにもしらず、ただよかれと思い、購入して持ち帰ったはいいものの 5年間、内容はさっぱりわからず、お堂の中にかけてあった。 今回、法要を執り行うにあたって、チベット学の先生が講演していただける縁で 翻訳を依頼し、法要当日に、表の柱に掛け、絵解きをしていただける事となった。 最初の法要中はまだ、その絵画の内容は知りません。 読経の最後の回向では 「チベット民族受難追善増長菩提」 と父が唱えて、皆で十遍の念仏を唱えたのですが 知らぬが仏・・・。「善が増していきますように」とチベットの絵画の意味も知らずに唱えているのです。 なにより、今回の法要の根幹は「追善」という言葉から始まりました。 追って善を振り向ける 現在苦難に遭われている方、苦難に遭われて亡くなられた方全ての人に対して法要と執り行う、という主旨。 苦難に遭われている人がいること、受難の現状を知って欲しい、と命をかけて訴えている人がいる。 それらの人がいる事に関心を持って知る事と、 忘れない事だけでも「追善」になるのではないか?と思っていました。 苦難の現状を訴えて亡くなられた方々を供養すること。現在苦難に遭われている方。 その苦しみを、私達が知ることと、なにかの行動をすることで、その苦しみを流してあげられたら、 との思いを込めての、法要の中、「般若心経」でした。 私達も、大きく声を出して読むことで、内に溜めていた苦しみを少しは外に出せたのでは? 先生は講演の後、ダムニェンの演奏をして頂けました。 追福演奏では、「追って福をおくる」という意味でしょうか・・。 参拝に来ていただけた方々が、皆様楽しんでいただけるように と、私はそんな主旨で考えていたのですが・・。 お経の最初は、いつも道場内に仏様を呼ぶお経を唱えます。 もちろん、この日はチベットで受難に遭われた人達、仏様を呼びました。 ですので、演奏中は私達だけでなく、それらの人達仏様達が喜ばれるように また、私達の喜んでいる姿(福)を受難に遭われた人達に届けられたらと思いました。 ありがとうございました。
by munehito_miwa
| 2009-05-09 12:01
| 自坊行事
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